人の動きに合わせて浮遊する生きた花々が、空間に埋め尽くされた庭園。
鑑賞者が、花が埋め尽くされている空間に近づくと、鑑賞者の近くに浮遊している草花は、一斉に上がっていき、鑑賞者中心に半球状の空間が生まれる。つまり、空間は花に埋め尽くされているが、常に鑑賞者中心に半球上の空間が出現し続けるため、鑑賞者が自由に動き回ることができる。複数の鑑賞者が互いに近づくと、ドーム空間はつながり、一つの空間になる。
鑑賞者が、花の中に埋没し、庭と一体化する庭園。
2300本以上の花々は、空間に浮遊しながら咲き渡っている。草花は生きており、日々成長している。
花々は、それぞれのパートナーの昆虫の行動する時間に合わせて、香りが強くなる時間がさまざまであるため、この作品空間も、朝、昼、夜と、香りが刻々と変わっていく。
日本の禅の庭園は、山の中で大自然と一体化するように修行を行っていた禅僧が集団で修行をするための場として、生まれてきたとも言われている。
禅の公案に「南泉一株花(なんせんいっちゅうか)」というのがある。
むかし、陸亘大夫という人がいた。陸亘大夫は、筆法師の『筆論』の有名な句「天地と我と同根 万物と我と一体也」を、「也甚だ奇怪なり」と、南泉和尚に問うた。
南泉和尚は、「時の人この一株の花を見ること夢の如く相似たり」と、言ったという。
人は花と一体化したとき、人が花を見ると、花もまた人を見る。そのとき、人は、はじめて花を見ていることになるのかもしれない。
↧
Floating Flower Garden – Flowers and I are of the same root, the Garden and I are one / Floating Flower Garden –花と我と同根、庭と我と一体
↧